「ビビる」は現代語ではなく平安時代の言葉?!いろんな言葉の「語源」が面白すぎる!!

Y氏は暇人Y氏は暇人

Y氏は暇人

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福岡を中心とした歴史のトリビアや珍スポットなど、街歩きの達人「Y氏」が見つけた面白いもの、珍なものを発信

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てっきり現代語かと思っている言葉でもそのルーツは意外と古い!言葉の「語源」が面白すぎるのでいろいろ調べてみた!

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▲ 無実の罪のことを「濡衣を着せられる」って言いますよね?

実はこの言葉の語源が博多の千代にあったとご存知でしょうか??

御笠川に架かる石堂橋の近くに・・・

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▲ 何やらたくさんの碑や像が置かれている一画があります。

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▲ この中に「濡衣塚」と言われる碑があります。

8世紀ごろに佐野近世(さのちかよ)という国の役人が妻と娘を連れて博多にやってきました。

まあ転勤みたいなものです。

しばらく経ってから妻が亡くなってしまいました。

佐野近世は新しい妻を迎えましたが、その新しい妻は佐野近世の娘が疎ましく感じていました。先妻との娘だからでしょうかね。

新しい妻は佐野近世の娘を悪者に仕立て上げようと企てます。

新しい妻は、娘が漁師の服を盗んだという話を作り上げてそのことを佐野近世に伝えました。

佐野近世はその真相を確かめるべく、眠っていた娘のところに駆けつけました。

すると、娘は濡れた服を着て眠っていたのです。

もちろんこれは新しい妻が仕組んだこと。

そうとは知らない佐野近世は激怒して娘を斬り殺してしまいました・・・。

それ以来、無実の罪のことを「濡衣を着せられる」とか「濡衣」と言うようになったんだそうです。

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▲ その後、佐野近世の夢に無実を訴える娘が出てきたので、あれは実は間違いだったのではないかと考えはじめ、自分がしてしまったことをひどく悔やんだのだそうです。

それで、娘を慰めるためにこの濡衣塚を建てたのだそうです。



と、こんな具合に言葉の語源を探っていくと非常に興味深いことがたくさん!

ということでいろいろな語源を調べてみましたのでとくに興味深かったものを紹介します。

↓ ↓ ↓ ↓ ↓

No.001 ビビる

「ビビる」と聞くといかにも若者が使いそうな現代語に思えてきますが、実はそのルーツは古いようです。平安時代、源氏と平氏が対立し、各地で度々合戦が起きていました。治承四年(一八八〇年)、駿河国(現在の静岡県)の富士川で源頼朝と平維盛が衝突し合戦となりました。「富士川の戦い」です。数回の合戦の後、源氏と平氏は富士川を挟んで対峙し、にらみ合いになりました。ところが夜になると突然平氏が撤退。そのまま合戦は終わりを迎えました。実はこの時、平氏は鳥の羽音を源氏の鎧の音と勘違いして逃げていったのです。当時、鎧が触れ合って出る音を「びんびん」と表現したそうで、そのことを「びびる」と呼んでいたのだとか。それが元となり、怖がることや尻込みすることを「びびる」と呼ぶようになりました。主に舞台役者が緊張で怖気づくことを「びびる」と言い始め、次第に一般にも普及していきました。

No.002 図に乗る

「つけあがる」などと同じ意味で使われる言葉ですが、ルーツは仏教の「声明」にあります。声明とは、奈良時代に最澄と空海が伝えたとされる、仏典を歌のように唱えるもので儀式の際などに行われています。声明の中には転調があり、その転調は「図」とよばれているのですが、文字通り図で表されます。音楽で言うところの楽譜のようなイメージです。この「図」を上手に唱えるのがなかなか難しいのだそうです。声明において、図がうまくいくことを「図に乗る」と言い、今のように悪い意味では使われていなかったのですが、一般に普及するにつれて「うまくいく」という意味が「つけあがる」という解釈に変化し、現在のように調子に乗っている人を表す言葉として使われるようになっていきました。

No.003 ダサい

格好わるい人、見た目が垢抜けない人を指す言葉の「ダサい」。若者の間で1970年ごろから使われるようになった言葉ですが、その語源には2つの説があります。一つ目が「田舎」。田舎から都会に出てきたばかりで垢抜けない様子を「田舎=だしゃ」と呼び、「い」をつけて「だしゃい」、それを読みやすくして「ダサい」と言うようになった説。もう一つが暴走族がバイクのギアチェンジの際に失敗してギアが抜けてしまい惰性で走ってしまう様子を「惰性!」とからかっていたのが、次第にかっこ悪いことを全般的に「ダセぇ」と言うようになり一般に普及してくに従い「ダサい」になったという説です。

No.004 ウザい

煩わしい、鬱陶しい、面倒くさいなどの意味で使われる言葉で、若者言葉というイメージが強いですが語源は古くからあった「うざうざ」という擬音語だと言われています。「うざうざ」は現在でも使われている「うじゃうじゃ」と同じような意味を持ち、人がたくさん集まって煩わしい様子などをあらわした言葉です。その他に欲深い人を罵る「有財餓鬼(うざいがき)」という言葉が、欲深い人=何かにつけて煩わしい人という意味で「ウザい」になったという説、多摩地域の方言で気持ちが悪いという意味を持つ「うざっしい」「うざっこい」「うざってる」が全国的に広がっていった説などがあります。

No.005 バグる

ゲームをする人やコンピュータを使っている人にはおなじみの「バグる」。機械が予期せぬ動きをしたり、動かなくなってしまうことを指す言葉です。この「バグる」の語源は英語で「虫」を意味する「bug」にあります。昔、機械の故障の原因として多かったのが中に虫が入り込んでしまうことでした。そのため、機械に不具合が起きることを全般的に「bug」と呼ぶようになり、日本では「る」をつけて「バグる」と言うようになりました。ちなみにコンピューターで世界初のバグと言われているのは1947年9月9日にハーバード大学の「マークII」というコンピューターに蛾が侵入したことで起きたバグで、この時に見つかった蛾は現在でもスミソニアン博物館に保管されています。

No.006 高飛車

高圧的な態度や偉そうな様子、軽蔑するさまを示す言葉ですが、語源は将棋にあります。「飛車」は将棋の駒の一種で何間でも縦横に動くことができ、勝負を進めていくうえで重要な役割をはたす強い駒です。その強い駒である飛車を積極的に前の方に出して威圧する戦法を「高飛車」と言い、相手にプレッシャーをかけて威圧する人をこの戦法に重ねあわせて「高飛車」と表現するようになりました。ちなみに飛車を攻撃ではなく守りに使う戦法は「居飛車」と言われています。

No.007 ばっくれる

「ばっくれる」はとぼける様子や、知らないふりをする様子を表す言葉で、若者の間では「サボる」と同様の意味で使われていますが、元になった言葉は「しらばっくれる」です。「しらばっくれる」の「しら」は「白々しい」の「しら」、「ばっくれる」は「化ける(化くる)」で、知らないふりをしながら違うものに変化するというのが元々の意味です。

No.008 ヤバい

「ヤバい」はマズい、危ないなどのほか、最近では「凄い」と同じ意味で褒め言葉としても使われていますが、ルーツは江戸時代に盗賊が使っていた言葉です。ヤバいの「ヤバ」は囚人を収容する施設の厄場(やば、やくば)、つまり牢屋のことで、盗賊たちが捕まりそうになったときに「厄場に入れられる」と言っていたのが形容詞化して「ヤバい」になりました。

No.009 ちやほや

甘やかしたり、ご機嫌取りをして気分をよくさせることを指す「ちやほや」の語源は平安時代の歌に語源があります。藤原定子は当時の天皇だった一条天皇の皇后でした。しかしその後、藤原道長の娘の藤原彰子が一条天皇の中宮となると、当時、藤原道長が絶大な権力をもっていたため周囲の人達は彰子の機嫌取りに躍起になりました。そんな人たちに失望した定子でしたが、その時定子に仕えていた清少納言だけは忠誠を尽くしていました。そんな清少納言の姿を見て、定子は次のような歌を詠みました。「みな人の 花や蝶や といそぐ日も わが心をば 君ぞ知りける」これはみんなが花や蝶やと美しいものだけに熱中する中でもあなただけは私の心をちゃんとわかっていますね、という意味です。この「花や蝶や」がその後「蝶や花や」になり、次第に省略されて「ちやほや」になりました。

No.010 ギョッとする

驚きやビックリすることを表現する「ギョッとする」は中国の古い楽器である「ぎょ」に由来しています。この「ぎょ」は虎が伏せたポーズをした形状で、背中にある凹凸の部分を竹で擦って音を出す楽器です。楽器といってもメロディーを奏でたり、リズムを取ったりするものではなく、演奏を停止する合図を出すための楽器です。その音がとても大きく、独特のものであるため思わず手を止めてしまうほどなのだそうです。そのことが次第に驚くことを「ギョッとする」と表現するようになりました。江戸時代頃から使われていたようですが、日常的に使われるようになったのは昭和20年代で、漫才師の内海突破が驚いたときに「ギョギョ」というギャグをやっていたのが流行語となり一般的な言葉として普及しました。

No.011 二枚目

男前、カッコイイ男性、イケメンなどを表す「二枚目」は歌舞伎用語が語源になっています。江戸時代、歌舞伎の芝居小屋では主要な登場人物8人を書き出し、8枚の看板にして貼りだしていました。一枚目には主役が描かれ、二枚目には色男や美男子を描くという決まりがあり、そのことにより一般にも男前な人を「二枚目」と言うようになりました。ちなみに一枚目は主役、三枚目は道化、四枚目は中軸、五枚目は敵役、六枚目は実敵、七枚目は巨悪、八枚目は座頭となっていました。

No.012 パクる

「パクる」の「パク」は「捕縛」や「束縛」の「縛」で、警察が犯人を捕まえることを意味して使っていた「縛る」に由来があります。近年では「犯人を捕まえる」という意味が転じて物を盗むことやアイデアを流用することを指して使われるようになりました。その他にも「ぱくり」という大口を開けて物を丸々飲み込んでしまうことをあらわす擬音が、「奪い取ってしまう」という意味として使われるようになったという説もあります。

No.013 足を洗う

良くない行いから身を引くことやを悪い習慣をやめることを指す「足を洗う」は修行僧が由来になっている言葉です。修行のために裸足で外を歩き回っていた僧は寺に戻ってくると汚れた足を洗っていました。煩悩に満ちた俗世から神聖な寺に戻ったので、心を清めるという意味もあったのだそうです。この「心を清める」習わしが「悪いことをやめる」と同じ意味を持つことから「足を洗う」という言葉が使われるようになりました。

No.014 油を売る

仕事を怠けることや無駄話をしてサボることをあらわす「油を売る」はその字の通り油売りが語源になっています。江戸時代、油は照明器具の行燈や女性の整髪料として使われていました。油の行商人は家々を回って量り売りをしていたのですが、当時の油は粘り気が強く、別の容器に移すのにとても時間がかかっていました。そのため、油を別の容器に移している間は客と話をして時間を潰していました。このことから無駄話をしたりして怠けている様子を「油を売る」と表現するようになりました。

No.015 うやむや

はっきりしないままにしておくことや、宙ぶらりんな様子を意味する「うやむや」は有ったり無かったりするときに使われる「有りや無しや」という言葉に由来があります。「有りや無しや」は「有耶無耶」とも表記され、それが音読されるようになり「うやむや」という言葉ができました。一説によると東北地方にいるとされていた妖怪「手長足長」が出現しているかどうかを調べるために霊鳥を飛ばし、出現していたら「有や」、出現していなかったら「無や」と鳴かせて周辺に知らせていたことが「有りや無しや」のルーツだとも言われています。

No.016 イカサマ

イカサマは不正行為や人を欺いて利益を得ようとすることを指す言葉としてギャンブルのときなどによく使われますが、語源は「イカ墨」にあると言われています。イカ墨で書いた文字はしばらくすると消えてしまうことがあるそうです。江戸時代、イカ墨で書いた文字が消えてしまうことを知っていた人が悪知恵を働かせ、お金の借用書をイカ墨で書きました。しばらくすると、その借用書の文字は消えてしまい、まんまとお金をだまし取ることに成功しました。これが元となって不正行為を「イカ墨」と呼ぶようになり、次第に変化して「イカサマ」になったと言われています。その他にも「如何様(いかよう)にでもなる」、つまりどのようにも解釈できることを「人を欺く」ということと同じ意味として使い、「如何様(いかよう)」が「如何様(いかさま)」と変化した説などがあります。

No.017 ろくでなし

役立たずな人やまともな行いをしない人を「ろくでなし」と言いますが、「ろくでなし」は漢字で書くと「陸(ろく)で無し」となります。「陸(ろく)」とは平でまっすぐな様子を指す言葉です。建築の世界では水平になっていないことや、平坦になっていないことを「不陸(ふろく)」と言います。つまり、「陸」でない状態というのは、まっすぐではないので使い物になりません。このことから役立たずな人や良くない人のことを「ろくでなし」と呼ぶようになりました。

No.018.ヤブ医者

インチキな医者や腕の悪い医者を「ヤブ医者」と言いますが、元々は全く逆の意味で名医をあらわす言葉でした。但馬国の養父(やぶ)(現在の兵庫県養父市)に死にかけの人でさえ治療してしまうという名医がいました。その名医の噂は津々浦々に広がり、その技術を習得したいとたくさんの弟子が集まりました。評判はさらに広がり、「養父の医者です」と言えば皆が信頼するほどになっていました。しかし、その一方で養父の看板を悪用するインチキな医者も大勢出現するようになり、今度は逆に養父の医者は腕が悪いという噂が広がってしまいました。これによりダメな医者のことを「養父(やぶ)医者」と言うようになりました。「藪医者」と書く場合もありますが、「藪」は後世の当て字だとも言われています。

No.019 かまとと

「かまとと」は女性が知っているのに知らないふりをする様子をあらわす言葉で、「ぶりっ子」と同じような意味で使われています。この「かまとと」は江戸時代の大阪で使われはじめた言葉です。ある遊女と客との会話の中で蒲鉾が何からできているのか、という話題になりました。遊女は蒲鉾が魚からできているということを知っていたのですが、わざと無知なふりをして「蒲鉾はととからできているの?」と尋ねました。「とと」とは魚をあらわす幼児語で、そのような言葉を使っていじらしく振る舞いました。この「蒲鉾」が「とと」からできているのかを遊女が尋ねたことが知っているのに知らないふりをする「かまとと」の語源になりました。

No.020 野次馬

自分とは関係のないできごと、事故、事件などを遠巻きに見物する人や、おもしろがる人を指す「野次馬」。その由来は「親父馬(おやじうま)」にあります。年老いた馬、つまり親父馬はは使いものにならず役に立たない事から、無関係なできことを見物したり騒ぎたてたるするだけで何の役にも立たない人たちのことを「親父馬」と呼ぶようになりました。それが変化して「やじ馬」になり、当て字として「やじ」が「野次」になって「野次馬」という言葉ができました。

No.021 グレる

「グレる」は不良になることや、素行が悪くなること、非行に走ることなどをあらわす言葉ですが、語源は「ハマグリ」にあります。平安時代ごろから上流階級の人々の間で「貝合わせ」という遊びが流行しました。貝合わせはトランプの神経衰弱のようなゲームです。ハマグリの殻の内側には絵が描かれていて、裏返されたたくさんのハマグリの殻の中から同じ絵柄のものをそろえていく遊びです。同じ絵柄が描かれたハマグリはもともと一対になっていた殻で絵柄が揃うとその貝はピッタリと合います。しかし、違う絵柄同士では殻は合いません。この不揃いな状態を「ハマグリ」をひっくり返して「グリハマ」と呼ぶようになりました。それが「グレハマ」、「グレる」に変化し、転じて生活態度が悪い様子なども「グレる」と表現するようになりました。

No.022 サバを読む

年齢を偽ることや何かの数をごまかすという意味で使われる「サバを読む」。「サバ」は魚のサバです。江戸時代、現在のように冷凍などの保存技術がなかったため、水あげした魚は早く売ってしまわなければなりませんでした。特にサバのように大量に捕れる魚は一匹一匹数えていたのでは魚の鮮度が落ちてしまいます。ですので、おおまかな数で仕分けして売っていました。このサバをおおまかに数えていたものを「サバ読み」と言うようになり、「おおまかな数」という意味が時代を経るとともに「ごまかした数」と解釈されるようになりました。

No.023 ごまかす

「誤魔化す」とも書かれる場合もあります、その語源には二つの説があります。一つは「護摩」が語源であるという説。護摩とは宗教用語で「焼く」を意味します。護摩の儀式では薪を燃やし、その中にお供え物が入れられます。すると、お供え物が煙に運ばれて天上に届けられるのだそうです。その時に出た灰が、ありがたい「護摩の灰」としてお守りに使われることがあるのですが、ただの灰を護摩の灰だと偽って売りさばくニセ僧侶もいたのだそうです。そこから「護摩」に接尾語の「かす」が付き、「ごまかす」になりました。もう一つの説は胡麻の菓子が語源であるという説。その昔、「胡麻胴乱」という菓子がありました。小麦粉と胡麻を混ぜ合わせて作った焼き菓子ですが、ぷっくりと膨らんだた目にも関わらず中身は空洞。いかにもボリュームがありそうな菓子だと思ってべたらスカスカで見かけ倒しだった、ということから、内容が伴っていないことを「胡麻菓子」つまり「ごまかし」と言うようになりました。

No.024 冷やかす

「冷やかし」の語源には江戸の吉原遊郭と紙漉町に数多くあった再生紙の作業場が関係しています。江戸時代、紙は高価なものであり、一度使った紙でも回収業者が集めてリサイクルすることが一般的でした。再生紙を作る時、まず集めてきた紙を水に浸して柔らかくするのですが、この工程を「冷やかし」と言ったのだそうです。冷やかし終わらないことには職人たちは次の工程に進むことができません。しかし、紙に水が完全に染み込んで柔らかくなるためにはある程度の時間が必要です。そこで、その間にちょっと時間つぶしに行くか、ということで再生紙の作業場があった紙漉町からすぐそばの吉原遊廓に出向いていました。当然、職人たちはその後仕事が残っているわけなので遊郭に入り浸ることなどできるはずもなく、遊女たちを見るだけ見て、そそくさと帰っていました。それを知っていた遊女たちは見物だけして帰っていく客のことを「冷やかし」と呼ぶようになりました。ここから、買うつもりもないのに店に行ったりすることを「冷やかし」と言うようになりました。

No.025 ヘソクリ

お金をこっそり貯めておくことを意味する「ヘソクリ」の語源には体の部位の「ヘソ」が関係していそうな気がしますが、体の部位ではなく麻の糸を棒に巻きつけた糸巻の「綜麻(へそ)」が語源になっています。「クリ」は糸を巻き取ること、つまり「手繰る(たぐる)」の「繰る(繰り)」です。女房が副業として綜麻を作って小金を貯めたことから「綜麻繰り(へそくり)」がお金をこっそり貯めておくことを意味する言葉として使われるようになりました。

No.026 八百長

「八百長」は勝負事において事前に対戦者同士が勝敗の取り決めをしておき戦うフリをすることを指す言葉ですが、明治時代に八百屋を営んでいた長兵衛という人物に由来があります。長兵衛は八百屋を営んでいたので「八百長」と呼ばれていました。長兵衛と大相撲の親方である伊勢ノ海五太夫はよく囲碁を打っていました。長兵衛は伊勢ノ海五太夫よりも囲碁が強かったのですが、伊勢ノ海五太夫の機嫌を損ねると八百屋の商品が買ってもらえなくなるのでわざと負けたりして勝敗を調整していました。その後、長兵衛がわざと負けていたことがバレてしまい、勝敗を調整することを「八百長」と言うようになりました。

No.027 どっこいしょ

力を込めるときや、立ち上がるとき、座り込むときなどに言われる掛け声の「どっこいしょ」。由来は仏教な言葉である「六根清浄(ろっこんしょうじょう)」にあります。「六根」とは目、耳、鼻、舌、身、意(こころ)を指していて、人間が持っている感覚を意味します。「六根清浄」は六根をキレイにする、つまり、欲望を捨てて清らかにするということです。修行僧が「六根清浄」と唱えながら山登りの修行をしていたのですが、一般的の人の間でも山登りの際に唱えられるようになり、次第に変化して「どっこいしょ」となりました。それがいつの時代からか休憩のときや立ち上がるときに掛け声として使われるようになりました。

No.028 図星

物事の確信をつかれること、思っていることを言い当てられることなどを指す「図星」という言葉の由来は弓道にあります。弓道の的にはさまざまな種類のものがありますが、その中に「星的」という的があります。白い円の中心に直径12センチの黒い丸を描いたシンプルなものです。この黒い丸の部分を「図星」といい、確信をつかれることを的の中心を弓で射ることに例えて「図星」と言うようになりました。

No.029 エッチ

スケベな人、いやらしい人をあらわす「エッチ」。明治時代頃から「変態」を指す言葉として「HENTAI」の頭文字を取って、「H(エッチ)」と言っていました。それが時代を経るごとにスケベな人をエッチと呼ぶようになり、1980年代頃からは性行為そのものを指す言葉としても使われるようになりました。

No.030 月並み

ありふれていること、おもしろみがないことを指して「月並み」といいますが、本来「月並み」は毎月定例や月次を意味する言葉として使われていました。俳句の世界では「月並句合」という会が毎月開かれ俳句を発表しあっていました。しかし、次第にその会も決まりきった形だけのものになっていき、その様子を俳人の正岡子規は「月並調」と批判しました。それがきっかけとなって「月並み」は「おもしろみがない」という意味で使われるようになりました。

No.031 ナンパ

女性に声をかけて親しくなろうとすることや、やみくもに女性に接する人のことを「ナンパ」といいますが、この言葉は明治時代頃から使われていました。もともとは政治において意見を主張しない人を指して「軟派」と呼んでいました。時代を経て、自分の意見をあまり主張しない社会面を担当する新聞記者のことも「軟派」と言うようになりました。逆に自分の意見を強硬に主張する政治面を担当する新聞記者は「硬派」と言われ、次第に強い意見を持っている男らしい人が「硬派」と言われるようになりました。その結果、「軟派」は女性にだらしのない人、女ったらしという意味を持つようになり、女性に声をかける行為そのものを指すようになっていきました。

No.032 ダフ屋

「ダフ屋」はチケット、入場券などを転売することを生業にしている人です。「ダフ」は「札(フダ)」を逆から読んだ倒語で、チケットの転売行為が発覚することを恐れた人たちが隠語として使いはじた言葉です。

No.033 ネコババ

拾ったものを届け出ることなく自分のものにすることを指す「ネコババ」。「ネコ」はそのまま「猫」、「ババ」は老婆の意味ではなく「糞」のことです。猫は糞をした後、すぐに砂をかけます。これは自分のテリトリーが外的に知られないようにするための本能的な行動です。悪事を隠すことを猫が糞を隠す行動に例えて「ネコババ」と言うようになり、近年では主に拾ったものを自分のものにすることを指して使われるようになりました。

No.034 太鼓判

「太鼓判」とは品質を保証すること、認定することをあらわす言葉です。語源は絶対的な保証をあらわす意味で太鼓のように大きな印を押すと表現したことにあります。その他に、太鼓を製造する業者が品質を保証するために胴の部分に焼き印を押したことが由来となっている説などがあります。

No.035 水掛け論

結論の出ない議論、終わらない言い争いのことを指す「水掛け論」。語源は狂言の「水掛聟」という演目にあります。水田の水を争って二人の男が口論となり水を掛け合うというストーリーです。この話が元となり、互いが意見を曲げずに言い争うことを「水掛け論」と言うようになりました。

No.036 台無し

良かったものがダメになること、物事がうまく進まなくなることを「台無し」といいますが、この「台」とは仏像が乗っている台座のことを指します。威厳のある仏像でも台座がなくなると途端に威厳がなくる様子を、物事がダメになることやうまくいかなくなることに例えて「台無し」と言うようになりました。

No.037 サボる

仕事を怠けることや休むことををあらわす「サボる」はフランス語の「サボタージュ」に語源があります。「サボタージュ」は労働者が反乱をおこして経営者側に労働条件を改善するように請求する運動のことです。「サボタージュ」は木靴をあらわす「サボ」に由来があり、労働者が仕事をしたくないのでわざと木靴で機械を蹴って壊したことからできた言葉です。大正時代頃に「サボタージュ」が日本語化されて「サボる」という言葉が生まれました。

No.038 几帳面

「几帳面」は物事をきっちりと行ったり、細部までこだわりを持って行う様子をあらわす言葉ですが、由来は建築用語にあります。「几帳」は貴族が部屋の間仕切りや目隠しのために使うもので、T字型の棒に布を吊った器具です。この棒は角を丸く削られていたり、複雑に装飾された形状になっているのですが、建築用語ではこの形状を「几帳面」と言います。几帳面を作るためには非常に細かく丁寧な作業が必要となるため、これに例えて物事をきっちりと行なうさまを「几帳面」と言うようになりました。

No.039 スケベ

いやらしい人、性的なことが極端に好きな人をあらわす「スケベ」。お酒が好きな人を「飲兵衛」と呼んで人名のように表現する場合がありますがスケベも元々はそれと同じ方式で、みだらなことを意味する「好色」に「兵衛」をつけた「好兵衛」が元になっています。その好兵衛が徐々に変化してスケベという言葉が生まれました。

No.040 おすそわけ

「おすそわけ」自分が譲ってもらったものを他の人にも分け与える意味で使われる言葉です。「おすそわけ」の「すそ」は着物の「裾」のことです。裾は着物の端にあたる部分であることや、必要性の薄い部分であることから「ちょっとしたもの」や「たいしたことのないもの」という意味をあらわし、そこから派生して「おすそわけ」は譲ってもらったものを分けるという意味合いで使われるようになりました。

No.041 すっぱ抜く

スクープや暴露と同じ意味で使われる「すっぱ抜く」という言葉は戦国時代の忍者に語源があります。「すっぱ(素っ破)」とは忍者のことです。忍者は敵を出し抜いて密かに情報を集めて依頼者に伝えることから、秘密を公にすることを「すっぱ抜く」と言うようになりました。

No.042 鳴り物入り

大々的に宣伝されることをあらわす「鳴り物入り」。「鳴り物」とは楽器のことです。歌舞伎では場をにぎやかに演出する際には楽器を鳴らして雰囲気を盛り上げます。これが由来となり、派手に盛り上げることや大々的に宣伝することを楽器でにぎやかに演出するさまに例えて「鳴り物入り」と言うようになりました。

No.043 つじつまを合わせる

理屈が通っていることや矛盾がないことを「つじつまが合う」と言います。「つじつま」は漢字で書くと「辻褄」となります。「辻」は裁縫の縫い目が十字になっている部分のことを指し、「褄」は裾の両端の部分をあらわします。つまり、着物を作るときには常に「辻」と「褄」が合っている必要があります。それに例えて物事の筋を通すことを「つじつまを合わせる」と表現します。

No.044 野暮

田舎臭いことや垢抜けないことをあわらす「野暮」は楽器の「笙」が由来になっていると言われています。笙は管楽器で十七本の管が集まってできている楽器です。かつては十七本の管すべてを使って演奏されていましたが、「也」と「毛」と言われる管はだんだん使われなくなり、時代を経るごとに音が出なく作られるようになりました。この「也」「毛」が「やぼ」となり、古臭いものや垢抜けないことをあらわす言葉として使われるようになりました。また、田舎の農夫をあらわす「野夫」が由来となっている説もあります。

No.045 ヤマカン

根拠の無い憶測で物事を決めることを「ヤマカン」と言いますが、この言葉は武田信玄に仕えて功績を上げた山本勘助に由来しているという説があります。山本勘助は敵の動きを予想したり戦略を立てることに長けていたことから、予測する能力があることを山本勘助を略して「山勘」と言うようになり、時代を経るごとに当てずっぽうに予測するという意味に変化していったと言われています。また「山師」が勘を頼りに鉱脈を見つけ出すことから「山師の勘」を略して「山勘」と言うようになったという説もあります。

No.046 テンパる

「テンパる」は緊張であたふたすることや気が動転することを表現する言葉ですが、語源は麻雀の用語です。麻雀であと一手であがりになる状態を「テンパイ」と言います。日常生活においてギリギリな状態をこのテンパイに例えて「テンパる」と言ったことが由来となっています。

No.047 イライラ

不快な状態や思った通りに物事が進まない様を「イライラ」と表現しますが、「イラ」とは植物のトゲのことです。その「イラ」を重ねて植物のトゲが不快である様子をあらわし「イライラ」という言葉が作られました。また、「イラクサ」というトゲの多い植物があり、トゲに触れると肌が荒れることから「イライラ」と表現するようになったとも言われています。

No.048 ざらにある

ありふれていることや平凡なことを「ざらにある」と表現しますが、「ざら」とは小銭の意味です。江戸時代、小銭のことを「ざら」と言っていました。小銭はどこにでもあるものでありふれていることから、平凡な様子を「ざらにある」と言うようになりました。

No.049 あべこべ

順序が逆になっていることをあらわす「あべこべ」は漢字で書くと「彼辺此辺」になります。「彼辺」はあちらのほうを表し、「此辺」はこちらのほうを表します。もともとはあちらこちらに散乱している様子を指す言葉でしたが、それが転じて物事の前後が逆転していることを表現する言葉として使われるようになりました。

No.050 キザ

「キザ」は態度が気取っている人をあらわす言葉として使われていますが、もともとの形は「気障り」です。この「気障り」が略されて「キザ」という言葉ができました。もともとは遊郭で使われていてた言葉でしたが、しだいに一般にも普及して日常会話として使われるようになりました。

No.051 ゴリ押し

強引に物事を進めることや、自分の考えを押し通して曲げないことを指す「ゴリ押し」。この「ゴリ」とはゴリラのことではなく「ゴリ」という魚のことです。ゴリは川底に住む魚で漁をするときには網やむしろに無理やり追い込んで捕らえることから強引なことや意見を押し通すことを「ゴリ押し」と言うようになりました。

No.052 結局

「最終的には」や「つまり」という意味で使われる「結局」。もともとは囲碁の用語として使われていたものです。「結」は結び、つまり最後をあらわします。「局」は囲碁の勝負を意味します。「結局」は直訳すると「勝負の最後」となります。これが一般に普及するとともに「最終的には」という意味で使われるようになりました。

No.053 たまげる

とてもビックリしたときに「たまげた」と言う場合がありますが、この「たまげた」を漢字で書くと「魂消た」となります。つまり、驚きのあまり魂が消えてしまうほどだという表現が「たまげた」の語源となっています。

No.054 ハイカラ

西洋っぽい服装の人やオシャレな人を「ハイカラ」と表現しますが、これは「ハイカラー(= high collar)」が語源になっています。この言葉は明治時代頃に生まれた言葉ですが、和服に比べて洋服は襟が高かったことから西洋風の服を着ている人や西洋かぶれの人をハイカラと呼ぶようになりました。もともとは皮肉を込めて使われていた言葉ですが、時代を経るごとに褒め言葉としても使われるようになりました。

No.055 ちんぷんかんぷん

説明を聞いてもまったく意味がわからない場合などの物事を理解できない状態を「ちんぷんかんぷん」といいますが、語源は中国語の「聽不看不」にあります。「聽不看不」は「チンプトンカンプトン」と読み、聞いてもわからない、見てもわからないという意味です。この「チンプトンカンプトン」が変化して「ちんぷんかんぷん」になりました。

No.056 たらいまわし

つぎつぎに責任転嫁をすることや場所を点々とさせられることをあらわす「たらいまわし」。このたらいまわしは曲芸のひとつで、寝転んだ状態で両足を使ってたらいを回し、そのたらいを落とさないようにつぎつぎと別の人にわたしていく芸です。場所を点々とさせられる様子がこの芸に似ていることから「たらいまわし」という言葉が生まれました。

No.057 土壇場

ギリギリの場面、あと一歩の状態を「土壇場」といいますが、土壇場は罪人を処刑する際に作られた盛り土のことです。この盛り土の上に罪人を座らせ(または寝かせ)て刑の執行を行いました。そのことが由来となって後に引き返せないどうしようもない状態のことを「土壇場」と言うようになりました。このちなみに「ドタキャン」は「土壇場キャンセル」を略して作られた言葉です。

No.058 堂々

自身に満ちあふれている様子や威厳のある様子を表す「堂々」。「堂」は神社などの御殿やたくさんの人が集合する大きな建物を意味します。つまり、「堂々」は人間を荘厳な建物や立派な建物に例えて強く誇らしい様子を表現した言葉です。

No.059 コツ

物事の要点、ポイント、要領などを意味する「コツ」。これを漢字で書くと「骨」です。骨は体を支える重要な部位であることから、これに例えて物事のポイントを「コツ」と言います。この表現方法は古くからあり、鎌倉時代に書かれた徒然草にも「骨」が「要領」という意味で使われています。

No.060 ケチ

いやしいことや貧乏臭いことをあらわす「ケチ」。もともとは「怪事」といい、不思議なことや奇妙なこと、良くないことをあらわす言葉でしたが、「ケチ」と言葉が変化するとともに「いやしい」という意味合いを持つようになっていきました。

No.061 まぐれ

たまたまうまくいくことや偶然そうなることを「まぐれ」といいますが、語源は「紛れ」だと考えられています。数多くの中に偶然あたりや成功などの目的が紛れているという意味で「紛れ」が使われ、それが変化して「まぐれ」という言葉が生まれたと言われています。

No.062 くわばらくわばら

災難が自分に訪れそうなときや被害が自分に及びそうなときなどに唱えられる「くわばらくわばら」。この「くわばらくわばら」には菅原道真が関係しています。菅原道真は陰謀によって京から太宰府に流され、失意のうちに亡くなりました。そのため、怨霊となって各地に雷を落としたと言われています。しかし、菅原道真の屋敷があった京の桑原には雷が落ちなかったため、雷を恐れた人たちは「桑原桑原」と唱えるようになりました。それがしだいに厄除けの呪文として唱えられるようになり、雷以外の災難に対しても「くわばらくわばら」と言うようになりました。

No.063 黒幕

影で物事を操っている首謀者という意味の「黒幕」。語源は歌舞伎で使われる黒い幕にあります。歌舞伎の舞台では黒い幕を張ってその裏側で進行に関わることや色々な操作を行います。この表に出ずに物事を操る様子に例えて影の首謀者を「黒幕」と呼ぶようになりました。

No.064 いくら

寿司でも人気の「いくら」。鮭の卵を醤油漬けにしたものです。この「いくら」はロシア語で魚の卵を意味する「икра」が語源になっています。そのため、ロシアでいくらというとキャビアなどの鮭以外の魚の卵もいくらと言われています。

No.065 ハンパない

尋常ではない、とてつもないという意味で「ハンパない」という言葉が使われます。「ハンパ」とは「半端」のこで「完全ではない」という意味です。その「半端」の否定形である「ハンパない」は「完全」という意味となりますが、最近ではそれ以上に優れているという意味で使われています。

No.066 トンチンカン

間抜けな様子や前後のつじつまが合わないことを「トンチンカン」といいますが、この言葉の語源は鍛冶屋が鉄を打つ時の音にあります。鍛冶屋が複数人で鉄を打つと色々な不揃いな音が聞こえることから、その音を「トンチンカン」と表現し、それに例えてちぐはぐな様子をあらわす言葉としても使われるようになりました。

No.067 皮肉

それとなく批判を言うことを「皮肉」といいますが、この言葉の語源には達磨大師が関係しています。達磨大師は中国禅宗の開祖とされている人物ですが、弟子に仏教を教える時にその理解度を「皮肉骨髄」の四段階であらわしました。「皮肉骨髄」は人間の体の構造のことで、体は外側から内側に向けて皮・肉・骨・髄となっています。達磨大師が「皮を理解した」と言われれば表面上の理解しかない、「髄を理解した」と言われれば核となる本質を理解したということをあらわしていました。つまり、「皮」「肉」の段階ではまだまだ理解が足りないということを意味していました。「皮肉」はこの「理解が足りない」ということが時代を経るごとに「批判する」という意味に変化していって生まれた言葉です。

No.068 ドン

「政界のドン」や「マフィアのドン」などのように首謀者や権力者を「ドン」と表現することがありますが、スペイン語の「Don」が語源となっています。日本では「ボス」に近い意味で使われている言葉ですが、スペイン語の「Don」は原則として男性に対して使われる敬称のことで、貴族や位の高い聖職者などの名前の前につけられています。

No.069 馬の骨

身元がはっきりしない人や素性のわからない人を「どのこの馬の骨ともわからない」ということがあります。かつて「馬の骨」は大きいわりに特に何かに使えるようなものでもないということで役に立たない物の象徴と考えられていました。この「役に立たない物」という意味が「身元がはっきりしない人」という意味に変化していき「どのこの馬の骨ともわからない」というフレーズが生まれました。

No.070 ギリギリ

極限の状態やあと一歩の状態をあらわす「ギリギリ」。カタカナやひらがなで書かれることが多いですが、これを漢字で書くと「限り限り」となります。つまり、物事の限界や限度を表す「限り」を2回繰り返して強調して作られた言葉が「ギリギリ」です。

No.071 どすの利いた声

野太い声、すごみのある声を「どすの利いた声」と表現することがあります。「どす」とは「脅す」を略した言葉で、「どすの利いた声」は脅しを利かせた声という意味です。ちなみに短刀や小刀のことを「どす」といいますが、こちらも同じく脅しに使われることから作られた言葉です。

No.072 度肝を抜く

大変驚くこと、仰天することをあらわす「度肝を抜く」。「肝」は「肝が据わっている」や「肝っ玉」に使われている「肝」と同じ意味で精神や心を表しています。びっくりしすぎて「肝」が抜けてしまったような状態を「肝を抜く」と表現したことが語源で、そこにさらに「ド根性」や「ド派手」と同じような用法で言葉を強調する「ド(度)」がつけられて「度肝を抜く」という言葉が作られました。

No.073 ハヤシライス

ドミグラスソースで肉や野菜を煮込んだものをご飯にかけて食べる「ハヤシライス」。語源には諸説あります。一つは文具や書籍の販売で知られる「丸善」の創業者である早矢仕有的が牛肉や野菜を煮込んだものをご飯にかけて食べる料理を考案し、それが「ハヤシライス」になったという説。その他に「ハッシュドビーフ・ウィズ・ライス」が省略されて「ハヤシライス」になったという説、早く作れるから「早しライス」と呼ばれていた説などがあります。

No.074 タルタルソース

マヨネーズに細かく刻んだ野菜などを混ぜて作る「タルタルソース」。「タルタル」とはロシアなどに居住するタタール人のことです。タタール人によって考案された料理で肉をみじん切りにしたものに油や香辛料で味付けをした「タルタルステーキ」というものがありますが、マヨネーズに細かく刻んだ野菜を混ぜるという調理法がタルタルステーキの調理法に似ていることから「タルタルソース」と呼ばれるようになったと言われています。

No.075 けんちん汁

「けんちん汁」はゴボウや大根、にんじん、豆腐などを煮込んだ料理です。ごぼうやしいたけ、大根などを薄焼き卵で巻いた巻繊という中国料理がルーツとなっており、それを汁物にしたのが「けんちん汁」だと言われています。また、その他にも鎌倉の建長寺の修行僧が食べていたということで「建長汁」、それが変化して「けんちん汁」となったという説もあります。

No.076 登竜門

仕事や位を前に進めるために通らなければならない難関を「登竜門」といいますが、これは中国の黄河上流にある「龍門」といわれる急流に由来しています。この急流には滝も存在していることから、登りきった魚は龍になるという伝説がありました。中国後漢朝をあらわした歴史書「後漢書」の中に李膺という大変優れた人物が出てきます。この李膺に実力を認められることが出世にとって重要であったため、李膺から認められることを急流の「龍門」を登りきることに例えて「登竜門」と表現したことが語源となっています。

No.077 手前味噌

自画自賛することや自慢することをあらわす「手前味噌」。「手前」とは「自分」のことです。「手前=てめぇ」と言うとわかりやすいかもしれません。「味噌」は食べ物の味噌のことです。昔は各家庭でそれぞれ自家製の味噌を作っていました。どの味噌がおいしいかを競ったり自慢しあったりしたことが「手前味噌」という言葉の語源になっています。

No.078 せっかく

「苦労して」や「わざわざ」を意味する「せっかく」。漢字で書くと「折角」です。語源は中国の儒者である郭泰がかぶっていた帽子の角が雨に濡れて曲がっていたものを皆が真似したことにあると言われています。その他に朱雲という人物が五鹿充宗という弁の立つ人物を論破したことを「五鹿の角が折れた」といったことが「折角」の語源だとする説もあります。

No.079 あっさり

単純なこと、複雑ではないこと、簡単な様子をあらわす「あっさり」は「浅い」が変化してできた言葉です。「歴史が深い」や「眠りが浅い」などのように物事の段階を「深い」「浅い」で表現することがありますが、「浅い」状態つまり「あっさり」は段階が進んでいない単純な状態という意味で使われています。

No.080 ほとぼり

まだ収まっていない状態、余韻が残っている状態を「ほとぼりが冷めない」と表現しますが、この「ほとぼり」を漢字で書くと「余熱」「熱り」となります。この言葉は「火通る」が変化してできたもので、物事が終息していない状態を火が通った熱い状態に例えて作られた言葉です。

No.081 まったり

ゆったりすることやぼんやりすること、味がまろやかなことをあらわす「まったり」。この言葉は「全い」が変化して作られたものです。「全い」は完全な状態や無事な状態をあらわす言葉ですが、しだいに味を表現する言葉として使われるようになり、近年になってからゆったりするという意味で使われはじめました。

No.082 ステキ

強く惹かれることや美しい様子を「ステキ」といいますが、これを漢字で書くと「素敵」となります。もともとは「素的」と書かれていました。「素」は「素晴らしい」をあらわし「的」は「魅力的」や「感動的」と同じ用法の「的」です。現在では「敵わない」という意味で「素敵」と「敵」が用いられています。

No.083 かわいい

「かわいい」は愛らしいことをあらわす言葉として使われていますが、その人が素晴らしすぎて顔を向けられないという意味の「顔映ゆし」が語源となっています。「顔映ゆし」は徐々に「恥ずかしい」という意味に変化し、さらに「相手を気遣う」という意味に変化しました。現在に至ると「弱いものなどに心引かれる」という意味に変化し「愛らしい」という意味を持つようになっていきました。

No.084 メリハリ

物事に強弱をつけることを「メリハリ」といいますが、音楽用語の「乙り」「甲り」が語源となっています。「乙り」はキーを低くすること、「甲り」はキーを高くすることです。それが時代を経るごとに声や音の強弱も表す言葉として使われるようになり、音楽以外のことで強弱をつけることに対しても用いられるようになりました。

No.085 すき焼き

薄切りの肉を野菜などと甘く煮込んだ料理の「すき焼き」。すき焼きは漢字で書くと「鋤焼き」です。「鋤」は田畑を耕す農具で、この鋤の金属の部分を火で熱して鶏肉や鹿の肉を焼いて食べたことが語源となっています。

No.086 関の山

「限界」や「限度」「せいぜい」などの意味で使われる「関の山」。「関」は三重県の関町のことです。「山」は祭りの時に飾ったり担いだりするために使われる山車のことで、関町で作られる山車が立派なものでこれ以上のものは作れないと言われたことから「関の山」という言葉が生まれました。

No.087 ゴタゴタする

「ゴタゴタする」はややこしい状態やもめごとをあらわす言葉ですが、語源は鎌倉時代の僧侶である兀庵普寧にあります。兀庵普寧は非常に聡明な人物でしたが、その講釈の内容が一般の人には理解するのが難しく、ややこしい話や難しい話のことを「ごったんごったん」と言うようになりました。それがのちに短縮されて「ごたごた」という言葉が作られ、時代を経るごとに争いのこともあらわすようになりました。

No.088 マジ

「本気」や「真剣」を意味する「マジ」は最近作られた若者言葉のように思われがちですが実は古くから使われていた言葉で、「許すまじ」などに使われている打ち消しの「まじ」が元になっています。つまり単体で使われる「マジ」は「そんなはずはない」という意味で使われ、それが変化して「本気」や「真剣」をあらわすようになっていきました。その他にも「真面目」が省略されて「マジ」になったという説もあります。

No.089 元も子もない

すべてが台無しになってしまうことや、すべてを失ってしまうことを「元も子もない」といいますが、「元」は元手や元金のことをあらわし、「子」は利子のことをあらわしています。つまり、「元も子もない」は利益が得られないどころか、もともと持っていたものさえない状態をあらわした言葉です。

No.090 ゴマをする

媚を売ることや調子よくおだてることをあらわす「ゴマをする」。すり鉢でゴマをするとゴマ粒が細かく砕かれてすり鉢の溝や底にへばりついてしまいます。このゴマがへばりついた様子を人にベタベタとくっついて媚びへつらう様子に例えて「ゴマをする」というようになりました。

No.091 幕の内弁当

「幕の内弁当」はご飯と様々なおかずを詰めた弁当のことで江戸時代後期頃にできたものだとされています。芝居の世界では幕が開いていない状態を「幕の内」や「幕間」といいます。その「幕の内」の時に観客や役者が食べた弁当を「幕の内弁当」と呼ぶようになりました。その他にも小さなおむすび(=小むすび)が入った弁当を相撲の小結が番付で「幕の内」の力士であるということにかけて「幕の内弁当」と言われるようになった説などがあります。

No.092 雑炊

「雑炊」は米に汁を加えて野菜や卵などの食材を入れて煮込んだ料理ですが、古くは「増水」と表記していました。つまり量を「増」やすために「水」を加えたことが語源で、のちに野菜や卵など様々な食材を加えるようになり「雑炊」と書かれるようになりました。

No.093 おやつ

間食のお菓子などを「おやつ」といいますが、江戸時代の時刻の読み方である「八つ刻」が語源になっています。「八つ刻」は現在で言うと午後2時頃です。農民は八つ刻に休憩して簡単な食事をとっていました。その間食がしだいに「おやつ」と言われるようになり、現在ではお菓子のことも「おやつ」と呼ぶようになりました。

No.094 おふくろ

母親を意味する「おふくろ」。語源には母親の懐の中で子育てをすることから「ふところ」が「おふくろ」になったという説や、子供が育つ女性の子宮を「袋」と言ったためという説などがあります。その他にも母親が金銭などの貴重品を袋に入れて管理していたことに由来する説などもあります。

No.095 おやじ

父親やおじさんを意味する「おやじ」。「おやじ」は漢字で「親父」と書き、もともとは「おやちち」と言っていました。つまり男の親を「おやちち」と言っていましたが、「おやちち」が「おやぢ」に変化し、その後現在のように「おやじ」と書くようになりました。

No.096 醍醐味

真に面白い部分や本来の楽しみを意味する「醍醐味」。仏教において、乳を精製すると乳味、酪味、生酥味、熟酥味、醍醐味と味が変化し、醍醐味は最も美味しい段階であるとされています。このことから「本当に面白い部分」を表現する言葉として「醍醐味」が使われるようになりました。

No.097 寿司

「寿司」は酢を混ぜて作られており、酸っぱい味であることから「酸し」といわれ、のちに当て字の「寿司」が作られました。朝廷に献上される際に縁起の良い言葉として「寿」「司」が当てられたと言われています。

No.098 ワイシャツ

スーツの下に着るシャツである「ワイシャツ」。シャツの形がアルファベットの「Y」に似ているからワイシャツと呼ばれていると思われがちですが、実はそうではなく、もともとは「ホワイトシャツ」といわれていました。それがしだいに変化してワイシャツと呼ばれるようになりました。現在では白以外のシャツもワイシャツといわれています。

No.099 ぽち袋

お年玉やちょっとしたお金を渡す時に使われる「ぽち袋」。この「ぽち」は「これっぽっち」の略で「ほんの少し」や「ちょっと」という意味があります。その他にも「ぼちぼち」を略したものが「ぽち」と変化したという説や「プチ」が由来している説などもあります。

No.100 人間ドック

病院や医療施設で体の精密検査を受ける「人間ドック」。「ドック」は船を作ったり点検したりする施設のことです。船体を点検するように人間の体を検査することから「人間ドック」と言われるようになりました。ちなみに人間ドックの正式名称は「短期間入院特別健康精査」です。

ーーー

様々な言葉の「語源」いかがだったでしょうか??

何気なく使っている言葉にも深い意味があったり、現代語だと思っていた言葉がとても古い言葉だったり・・・。

他にも面白い語源があったらぜひ教えてくださいね!

あと、こちらのサイトにもたくさんの語源が紹介されていますので見てみると とても興味深いですよ。

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語源由来辞典

由来・語源辞典

【参考サイト】

語源由来辞典
由来・語源辞典

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