[IMSでカンパイ!] なぜ福岡はダントツで住みやすい!と言われるのか?

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福岡テンジン大学

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福岡の街をキャンパスに、誰もが先生・誰もが生徒になれる「福岡テンジン大学の授業」を、ボランティアスタッフによるレポートでお届けします。

今日のテンジン大学は、「夜の授業」

「イムズに、カンパーイ!!」

掛け声と共に授業が始まりました。今日のテンジン大学は、「夜の授業」です。

平日の水曜日、仕事帰りの19時、天神のイムズに約40名が集まって、「福岡の魅力を再発見する」授業が開かれました。

福岡に来たら、みんな福岡人になる。

今日の授業を企画した、コーディネーターの岩永さんから一言。

「テンジン大学の姉妹校である、シブヤ大学の方がこんなことを言っていました。『福岡の人たちは出身でなくても、福岡を愛して自慢していくような土地柄なんだね』福岡に来たら、みんな福岡人になる。他の街では、なかなか見られない現象なんです。福岡の魅力についてもっと知りたくて、今日の授業を企画しました。」

一人目の先生は、「福岡移住計画」の須賀さん

本日は、二人の先生に来て頂きました。始めにお話し頂くのは、須賀大介さんです。

須賀さんは、4年前に東京から福岡へ移住して来た方で、福岡移住計画というプロジェクトを進めたり、糸島や今宿、天神など複数のコワーキングスペースを運営したりしています。

東京で働いていた須賀さんが移住を考えるようになったきっかけについて、

「東日本大震災が大きなきっかけです。当時36歳だったのですが、これから40、50、60歳となったとき、東京で働き続けられるのだろうか。2歳の子供をどこで育てて行くのか。そういうことを、震災をきっかけに考えました。いろんな移住先を考えましたね。」

移住先を探していた頃、福岡での忘れられない出来事があるそうです。

「筑肥線に乗っているとき、電車内で泣いている子供を見たおばあちゃんがニコニコしながら、『子供は泣くのが仕事だけんね』と言っていました。その言葉にズキュンときました。おばあちゃんたちの眼差しがすごく温かかった。東京ではありえないことです。」

新しい人生を作っていく場所として福岡がいい。

須賀さんが、福岡で今の活動をしている想いについて、

「新しい人生を作っていく場所として福岡がいい。1つは実験がしやすいこと。福岡は、新しいことに挑戦しやすい。2つ目が同じ価値観の仲間に出会えること。何かやるとき、呼びかけると、紹介してもらえて仲間ができやすい。3つ目が寛容であることです。小さな僕の会社が大企業の西鉄さんと一緒に仕事をさせて頂いています。『福岡のためならやっちゃあけん』みたいな。」

「外から入る人と地元の人をつなぐ人がいれば、まちに新しい人が入ってきて、まちが面白くなる。そう思ってこの活動をさせて頂いています。」

須賀さんが感じる福岡に対する課題について、

「課題として感じることは、アジアの玄関とは言われつつも外国の方との接点が少ないこと。パワーがあって、キラキラした女性が多いので、もっともっと女性が活躍できるといいなと思います。」

移住して来た須賀さんだからこその役割があり、見える課題がある。そこを少しずつ解決していこうとしている姿に福岡愛を感じました。

「みなさんは、どうして福岡に住んでいるんですか?」

そんな問いかけで須賀さんの話を終えました。

須賀さんの話を聞いて、新しく発見した「福岡の魅力」をシェア。


二人目の先生は、「福岡市博物館」の館長の有馬さん

本日二人目の先生は、有馬さんです。福岡に33年住んだ後、退職して現在東京に住んでいる有馬さん。福岡市博物館の館長をされていて、東京と福岡を行き来する生活スタイルを送っています。

「今の福岡」の始まり

有馬さんより福岡の歴史について、

「福岡がこんなに良いと言われるようになったのは、最近のことなんです。吉田初三郎という方を知っていますか?このような観光鳥瞰図(観光マップ)で有名になった方です。」

「博多を中心とした鳥瞰図も書いていて、この絵は昭和11年に、博多築港の完成記念に作られた観光マップです。拡大するとわかりますが、ここに福岡空港が描かれているのがわかります。当時、福岡は発着便数、旅客数、貨物便数などなど日本一でした。朝鮮半島など大陸に行くには、福岡に降りないといけなかったからです。」

「当時、都市の発達の原動力は工場でした。福岡は、北九州のような工業化を目指していたのです。しかし、工業化を諦めて、観光にシフトしました。それが、『今の福岡』始まりだったように感じます。」

「工場から交通へ」

有馬さんの話は、さらにディープな福岡の歴史へ、

「この絵を見ても、福岡は海に開かれた街。人が移動する街。そのように感じませんか?交通を広い意味に考えると、人の移動。物の移動。情報の移動。お金の移動

と考えることができます。福岡は、工場よりも交通なのではないだろうか。私は、この絵に、明治以来の工業化路線と交通路線のせめぎ合いが、現れていると思っているんです。」

「また、吉田初三郎の弟子が書いた鳥瞰図には、観光客やハイキングをしている人が書いてあります。ここには、武士が蒙古兵をやっつけている絵が書いてあります。歴史を観光に生かしていこうとしていたことが伝わりますね。『工場から、交通へ』それが、この絵から読み取れます」

工場から交通へシフトし、観光を発展させていった。

それが、『今の福岡』ができることになる重要な転換点だったのですね。

有馬館長の話を聞いて、気づいたことのシェア。

福岡の外から移住して来た須賀さんから見た福岡と、福岡の歴史に詳しい有馬さんから見た福岡の話を聞いて、「食」以外の福岡の魅力を、またその原点を知ることができました。

福岡をもっと好きになる授業でした。

(ボランティアスタッフ 大井憲太郎)

【今回の授業のコーディネーター】

岩永 真一 福岡テンジン大学学長

2009年に独立したのをキッカケに福岡市共働事業提案制度に「福岡テンジン大学」を提案、2010年9月に福岡テンジン大学として開校し学長も務める。学長としての顔以外にも、集客・販売促進の広告プロデュース、九州大学非常勤講師や小中学校での講師、男女共同参画やまちづくり・地域づくりでの講師、ファシリテーターなどを行っている。2012年から福岡市総合計画審議会委員、2013年4月より北九州市立大学の特任教員も務める。

【今回の先生】

須賀 大介 福岡移住計画

1976年生まれ、茨城県水戸市出身。大学入学を機に上京。2002年、Web制作会社株式会社スマートデザインアソシエーションを立ち上げ、現在もCEOを続けているほか、2010年には6次産業化の農業事業も立ち上げるなど東京時代より地域活性に関する事業に積極的に挑戦。東日本大震災をきっかけに、東京を離れることを考えはじめ、2012年から福岡へ移住。その半年後に、「福岡移住計画」を立ち上げ、移住者のサポート事業の他、島根や宮城など他地域での地域活性にも取り組んでいる。

有馬 学 福岡市博物館館長

1945年北京生まれ、鹿児島県出身。1971年東京大学文学部卒業。76年同大学院人文科学研究科博士課程単位取得満期退学。九州大学文学部講師、助教授、教授を経て94年より同大学院比較社会文化研究科教授。2009年退官し九州大学名誉教授。2012年から福岡市博物館館長。歴史学者、専門は日本近代史。著書に『日本の近代4「国際化」の中の帝国日本』、『日本の歴史23 帝国の昭和』などがある。

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